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小春日も夕寝の夢も去りにけり

夕寝の夢 (2018.11.26. 15:47記す)駅ビルの地下かショッピングモールのような雑踏を歩いていると、何かの店の前で。レンガ色の襟付きの母手編みの懐かしいカーディガンを着た母が立っている。目をキョロキョロさせて笑顔だ。ずいぶん小さくなってるけど母だ!お母さん!お母さんだ!(首にかじりつく)こんなとこで会えたー嬉しいよーあたしも嬉しいよーちゃんと食べてるか?うん食べてるよ!会いたかったよ寂しかった(笑)じゃあ...

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#合鍵や此処にて最後のひなまつり

季節はずれのタイトルで失礼します。ブログをちょっと整理するため下書保存のままの記事をチェックしていたら、5年前の書きかけ記事を見つけた。(タイトルの#は下書保存のしるし)この当時、まさかあと3年足らずで母を喪うとは思ってもいなかったはずだ。が、それに先立つこと4年あまり…50歳になった日。私は心の中で、一つの覚悟をした。 今年、父は84、母は82。 これからの10年の間に、おそらく 両親との別れが来るのだろう…...

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梔子や生まれし家の雨の庭

父の一周忌。父の愛したクチナシの香る季節。その香りを、わたしも愛する。父の愛した、ギターという楽器。それを奏でる人が、私の夫になった。自分が愛するものは、知らず知らずのうちに父からも母からも、受け継いだようだ。・・・・そんな話も、いずれまた。...

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末の子の舅に忌日合はせたる母よ母らし月と笑ひぬ

1月11日は、義父と実母の命日。義母にもらった、母のラスト年賀状。これを出した頃は、87歳元気な母だった。でも膀胱の中では、癌細胞が勢力を一気に増していたのだ。発覚したのは、この賀状を書く前、11月半ば過ぎ。その日はたまたま、私の車で母の友人宅を訪う予定だった。私との待ち合わせに向かう電車の、乗り換え駅のトイレで。血の塊らしきものを含む真っ赤な血尿がとめどなく出たと、母の震える声で電話があった。・・・・...

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若かりし母の日記や花菜漬

3月初めに中途のまま下書保存していた記事があった。年が改まる前に、upしてしまいます。**********この1年…1年とは、昨年3月からということになるけれど。そうなのだ。昨年1月に母が亡くなり、しばらくは平気だった。いきなり激しい悲しみに襲われるようになったのは3月に入って間もなくのこと。何をしていても、なんの前触れもなく、日々何度となく突如フラッシュバックする映像。それはことごとく、母をサイドシート...

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日記買ふ戦火くぐりし女学生

母、加藤(旧姓)Y子。昭和4年、江東区深川生まれ。生家は電機店、父親は当時でいう電気技師。なかなか子宝に恵まれなかった両親は、男児を養子とした。すると間もなく授かったのが、Y子だった。さらに3年後、妹が生まれた。しかし、ほどなくして生母が病死。姉妹は、母親の顔も記憶に残らぬ幼さだった。その後継母を迎えるが、愛らしい妹ばかりが可愛がられたと聞いたことがある。母の人生を大きく変えることになった…という言い...

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手始めの写真整理や雪もよひ

(「親を送る」カテゴリ追加しました。)母の写真整理に手をつけることもできぬうちに父も逝ってしまってさ。末っ子としては、兄や姉に分ける&デジタル保存して共有したい。と思いつつ。「整理」という段階までは、なかなか進まず。仕事と結婚の岐路にいた母の日記 "NURSE'S DIARY 1951" リライトは、Wordで縦書き文書に直し、注釈入れ、校正しました。きょうだい3人分を紙に出力して、鈴宿にもupしようかな。若かりし母の日記を読...

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ちちははや紫露草けさを咲く

7月4日、父がこの世を去りました。九十二歳、老衰。母より1年半遅れて、旅立ちました。この歳にして。両親ともこの世にもう居ないことの心細さ寂しさがじわじわと身に沁みてくる梅雨寒でありました。東京大空襲を生き延びて出逢った、父よ母よ。ありがとうございました。そして、おつかれさまでした。...

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1951年、母の或る一日。

3月23日 金曜日いよいよ今日はお別れ。長島の小父さんと荷作りに大変オフに急いでおべんとう作る。海苔巻の芯は、玉子焼とデンブと青い漬菜。それに玉子のおすし。きれいだ。折詰にしたとこは春の野のよう食べるに惜しい、眺めていたい。それでも充分出来た。小さく切って並べて三箱、包み紙もお箸も入れて、昨夕のすし折が早速役に立った。それからもう一箱は妹へ。八人で写眞とる。みんな落着かないで七時頃病院に別れを告げる。...

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桜でんぶと薄焼き玉子

母もこの内裏雛を、とても愛でてくれていた。一昨年のこの季節に、母に宛てた私の手紙。春野の花の淡い絵柄の便箋に。母の日記帳の、最後一冊の後ろの方の頁に栞のように挟んであった。*******恋しきは母の太巻 雛飾る運動会や遠足のお弁当。その記憶は続く。9か月を過ごした懐かしの病院へ、信州へと、大切な仲間たちが一緒に行ってくれたあの日も。車の中で、ウマイウマイと大喜びで賑やかに皆で食べた、母の心尽しの巻...

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空耳に母ことほぐやカランコエ

昨日夫が花鉢をたずさえて帰宅。おかげで忘れずに迎えた本日、結婚記念日。そして彼は、朝も早よからスネア背負ってバンドリハに出かけた。それで私は久々にPCでブログ更新する気になり、近況報告など。******なんといっても、これです。   母ロス、おそるべし。そういえば、母は毎年‥必ず、ではないけれど‥結婚○周年おめでとう!と、メールか手紙か電話をくれたっけ。それで思い出したという年も何度かあった。誰よりも...

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母の遺品整理は宝探しに似て

室生犀星の引用から始まり、ドイツ語の看護用語、看護についてのミニ解説等載っている。私の知らない若かりし母。仕事と結婚の岐路に立つ21〜22歳。これは想像以上の小説だ…しばらく読み耽りたい。夜勤明けは眠りそうな文字。解読も楽し。...

本田鈴雨(ホンダスズメ)
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