季節はずれのタイトルで失礼します。

ブログをちょっと整理するため
下書保存のままの記事をチェックしていたら、
5年前の書きかけ記事を見つけた。
(タイトルの#は下書保存のしるし)

この当時、まさかあと3年足らずで母を喪うとは
思ってもいなかったはずだ。

が、それに先立つこと4年あまり…
50歳になった日。
私は心の中で、一つの覚悟をした。

 今年、父は84、母は82。
 これからの10年の間に、おそらく
 両親との別れが来るのだろう…

と。

当然ながらそれは、
"悲しみのただ中に在っても自分を保つ。"
そのための覚悟であり、
その時期に別れが来ることを望むものでは、
決してない。

もしその覚悟が幸いにも裏切られるのであれば、
それに越したことはないのだ。

しかし、覚悟の通りになってしまった。

その後のコロナ禍のことを考えれば、
むしろ幸いだったと言えるのかもしれないが。

前置きが長くなってしまった。

以下、下書記事を整える程度に加筆し
未完のまま、upしておきます。


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(2015年3月記す)


ひなまつり15

2月末日、桃と菜の花とともに母がやって来た。
この時期に、この花をたずさえて、
母が私を訪うのは何年ぶりだろう。

この家に来るのは、これが最後となるから。

老いたれど達者な足を運んで電車を乗り継いで。
この住まいと名残を惜しみ、
そして合鍵を返すために、母は来てくれた。

合鍵。

私がまだ体調に波があった頃。
(エンブレル注射開始以前のこと)
年1~2回ではあるが、
RAの炎症で身動きできない状態に陥った時、
看護の元プロは助けてくれた。

ベッド上での排泄、ストロー使用の飲み物。
ご飯はおにぎりにして。
晩ごはんの支度までを済ませ、夫の帰宅と交代で
母は帰って行った。

エンブレル開始以後、そんなこともなくなった。
いまや母は安心して末っ子を遠くにやれるのだ。