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2007/08/28 (Tue) 学んでおります

9月号が届きましたので、次の詠草を準備。

 

  陽に展くひまわり見むと車駆る海沿ひに立つ美術館まで


  モダニズムよりも響きは残りゐる 初期の画に聴く遠雷の音の


  展示室めぐりき最後 たひらかに葉山の海のひろがりてをり


  入り口のガチャポンなんぞ知らぬ気の館内レストラン海に臨む


  カプセルに詰められゐるはミニチュアの石膏像よと笑ふも惹かる


  ブルータスもメディチもいらぬラボルトも ただ麗しきアリアスいでよ 


  おじさん像二個であきらめ卓につく 水平線がきらめいてゐる


  透明なタマゴを割れば生まれ落つ 頭部嵌め込み式胸像が


  ちんまりと 大理石仕上げブルータスも石膏仕上げのセントジョセフも


  精巧なつくりとまでは言ひがたき頬のひずみと鼻梁の狭さ 


  その名も「石膏デッサン入門」なる 此をいかやうにデッサンしろと?




以上、山口蓬春展を見に行ったときのことを思い出して、詠んでみました。

(メモ)
 ●「蓬春」を入れなくて良いか?→「陽に展く」で暗示
 ●「ひろごりて」→「ひろがりて」の方が広がる感あり。
  「きらめきて」→「きらめいて」も同。 


添削をしていただくようになって思うのは・・・

「詠む」とは、その1首に込める気持ちとか技術的なことにとどまらず、
さまざまな角度から「私」という世界を表現していく必要があるのだということ。

歌のモチーフのみならず、登場人物やシチュエイションも大切であるわけです。
日常生活の中で、ただなんとなく詠んでいると、私の場合
①毎回「夫」がどこかに登場する。
②植物、特にベランダ園芸に関する歌。
③自分の体調・身体的なことに関する歌。

・・・というパターンに陥りがちのようです。なぜならその3つは、
生活するうえで、無意識のうちにも毎日私が気にかけ、心を注ぐ必須事項。

ブログを読んでくださっている方であれば、ここにあるさまざまな歌を通して
「私」の世界を、ある程度多面的に感じてくださることができましょう。
そういう意味では、「題詠100首」などは、テーマを与えられて初めて
私自身が普段忘れている事物・感覚を掘り起こすことができる、格好の場でございます。

が、結社の中では、(歌集を出版する以外は)会誌に掲載される歌が、私のすべて。
それは選歌していただく上でも同じ、私が送稿した歌が私のすべてであるわけです。

このことに思い至ったのは、前回の詠草の添削でした。

源平蔓の連作をお褒めいただいた上で、

夫ばかりでなく、「父」の登場で、世界が広がった

というようなコメントをいただき、意表を突かれた感を持ちました。

それで、前述のような考えに至りましたのです。

たしかに、題詠でさまざま詠うように、歌の題材なんていくらでもあるものです。
(それなりの歌にできるかどうかは別として。)
それならば、今回はちょっと目先を変えて。と、ガチャポン連作。
ガチャポンに関わる主体は「夫」なのですが、あえて登場させず。。



もうひとつ。

少し前のことですが、あるweb歌会に参加してみました。
お題は「雨」。
参加者の投稿歌が作者名を伏せて全首掲載されたページに、
記名入りで、自由に鑑賞を書き込みます。(どの歌でも、何首でもよい。)

「読み」については、私は深読みが過ぎると痛く反省しました。。。


さて、ここでの私の詠草

  雨というめぐみに濡るる幸しらずあわれベランダに生くるものらよ

ですが。

我が家のベランダは、よほどの嵐でもない限り、雨などほぼ吹き込んでこない。
1年住む間に「この雨でそこそこ濡れるだろう」と水遣りを怠った結果
枯らせてしまった鉢もあり、雨が届かぬことを痛感。
濡れることができるとしたら、かなり風雨の強い台風でしょう。
(昨年1度だけ、屋根際の鉢だけびしょ濡れになったことがあるのみ。)
植物の休眠期以外は、水遣りが欠かせぬことを肝に銘じた次第です。

その実感から生まれた歌なのですが、
(さらにいえば、吹きすさぶ雨ではなく「めぐみ」としての雨のイメージで。。)
鑑賞してくださった方のお一人が

ベランダは結構雨が入り込むものであり、横殴りの雨風に鉢は濡鼠にもなる。
それからすると、この歌は、人工的な硝子のサンルームを造った結果では。
(要約)

というようなことを書かれていました。

そうか、、、ベランダといっても、作りや方角、周辺の環境によって
たしかにさまざまだよな~。。。


と、意外な解釈にちょっとひるんでしまいましたが、貴重な経験でもありました。


文芸の分野では、たいていの場合、具体性が作品を活き活きとさせる
と私は認識していますが、限られた字数の中にそれを実現させることは
このような落とし穴があるのだ、安直にしてはいけない、
ということを学びました。


と、なんだかんだ言ってみましたが・・・

歌が作者の手を離れた時点で、作者とは切り離され、
独立した作品となって、すべては読み手にゆだねられるものなのでしょう。



うーむ・・・とにかく、読め、読め、読め。



さてと。今月号の会誌、続きをまたじっくり読まん。





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うーん、「雨というめぐみに濡るる幸・・」っていいよね、「ベランダ」が無理でも、このコンセプトでもうちょっと食いついてみたらいい歌できるかもですね♪

2007/08/29 08:51 | よしこちゃん [ 編集 ]


 

鈴雨さんー私は素人なのでコメント書いていいかどうかすごく迷いましたが・・・

すごく、鈴雨さんはご自分のことを冷静に見つめていらっしゃるなあというのが感想です。

自分自身の内面を見つめるということは
簡単なようで、すごく難しいですよね・・
他者の様子は、客観的にみられたりも出来るけど。

私は、鈴雨さんのお歌の魅力は素直でストレートに伝わってくるところですね。そんな所がいいなあってよく思います。(^^)

2007/08/29 09:59 | ゆめたん [ 編集 ]


 

>よしこちゃん

ねーさんありがとうございます~
そうか、、「もうこれはダメ」ってボツ歌にしてました。
そうですね、またつれづれに引っ張り出して、考えてみます♪


>ゆめたん

ありがとうございます~
自分のことを客観的に眺めてみるのはけっこう面白いんですが、
所詮は、ジブン大好き!人間なんですよね。。(^^;
もっと心のひだを増やさねば、、、と思いつつ、この単純さは私の長所でもあるし~、、、
なぁんて言ってる限り、一生変わらないんでしょうね。。。

2007/08/29 16:33 | 鈴雨 [ 編集 ]


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モダニズムモダニズム(modernism)#近代主義のこと。20世紀初頭に各分野で起こった実験的な芸術運動。モダンアートともいう。(本項で記述)19世紀の末、カトリック教会で起こった運動で、現代にふさわしい信仰を主張したが、異端とされた。----モダニズムは20世紀以降に起 //クラッシックの世界 2007/09/13 13:46

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Author:本田鈴雨(ホンダスズメ)
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