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2008/06/20 (Fri) 歌集鑑賞 『きつね日和』

春畑茜さんの第二歌集

『 きつね日和 』 より





     風船を手に弾む子の手をひけり離さばこの子天に吸はれむ



春畑さんの、わが子を詠った歌に、とりわけ惹かれる。

“子育て”の中にふとのぞくさびしさやかなしみめいた焦燥も、魅力的な歌になっているけれど、
私が惹かれるのは、どちらかというとこの歌のように、幾つかの要素から織り成されるイメージの
光と影のせつなさかもしれない。

日に照る風船を手にして、生き生きと嬉しげで元気な、子の姿。
その手を引く母。
・・・明るくあたたかな母子の情景だ。

それが下句では一転、漠然とした不安・懼れへと移行する。

具体的な根拠はない、けれど不意に沸き起こる、子を失うことへの怖れ。
子を育てる(宝を守る)とは、その宝を失う不安をも常に孕んでいるのだろう。

生きることは、そして母性愛というものは、せつない。





     晩年はいつとは知らにおとづれむ夕闇に眼が慣れゆくやうに



この歌集の栞に「ぼんやりとしたままいつのまにか入りこんでいるものの恐ろしさ」と
吉川宏志さんが解題されている。

私の読みは浅いのかもしれないが・・・

晩年(=死)がこのように訪れる、それは“人生の優しさ”なのではないか。
もしも「いつとは知らに」ではなかったならば、耐え難くつらいことではないか。

そのように読んで共感した歌だ。
自分の生と死を。そして大切な人たちの晩年を。
親の晩年を「夕闇に眼が慣れゆくように」享け入れている、今その過程にいる私でもあるのだ・・。

だが、考えてみると・・・
年齢的にまだ「晩年」という意識を持ちえぬ時点で、実は既に晩年が訪れているのだとしたら。
それはやはり、恐ろしい。





     硝子より硝子へそそぐ春曉のミルクのひかり あるいは翳り



     たましひのけ寒き夕べかがやきは鶏卵を割る手よりくだりぬ



     蜜豆のひそひそ話ひそひそと陶のうつはに生るるさざなみ




ここに引いた3首、これらがまさに春畑さんワールドである、と私は思う。

共通しているのは、日々の生活のささやかな一場面の中にある、ひかりの質感
こまやかに、かつ鮮やかに詠われていることだ。
それにより、その場の空気感やさらに“気分”までもを、読むものが体感(追体験)できてしまう。

3首目などは、「ひそひそ」の繰り返しが、半透明の寒天の賽の目が寄り合う・・・
その質感をみごとに表現している。「陶のうつは」の静謐感も絶妙な取り合わせだ。

そこにも、寒天の影と光がかすかに震えている。





     オオカミがこぶたの家を破壊せり童話といへどただ事ならず



     あをぞらに遠退く機影国ひとつ危ふき方へ傾くやうに



     見誤る刹那のあらば永遠に失ふならむ 蹴球もまた




『きつね日和』には、童話がいくつか出てくる。
そしてそれらの一部は、社会詠へと連携している。

『ごんぎつね』では、“兵十”が“ごん”を撃ったくだりから
「ハロウィンの夜に撃たれし高校生」へと。

そして、上に挙げた1首目。
『三匹のこぶた』では、イラク戦争に於けるアメリカを、オオカミになぞらえている。

さらに、そのオオカミに加担するのかという危うさを
イラクへと派遣される自衛隊機に投影している、2首目。

また、サッカー好きの春畑さんは、サッカー詠にも意欲的に取り組まれている。
日本代表チームの試合観戦(2002年のFIFAワールドカップ?)での一連もすばらしい。

上の3首目はその中の1首だが、これは日本という国の危うさを詠ったものでもあるだろう。

春畑さんの社会詠は、ある距離を置いて冷静な視点から詠われている。
そして冷静ではあるが、そこには、強い疑問や異議申し立ての気持ちがこもる。

社会詠とは、難しいものだと思う。

一般論をなぞっただけでは意味がない。
正義を振りかざしても、シニカルに溺れても、ナルシシズムに傾いてしまう。

“事件”を詠う場合も、重要なのは視点(距離感)なのだろう。
事件の当事者への感情移入が強すぎれば、かえって嘘臭さや空回りしている感覚が残る。
どんなに感情移入しても、それはどこまでいっても結局想像の範囲でしか、ない。
当事者になり代わって歌を詠むことも、その痛みを真実わかることも、
第三者には不可能なのだ。

「理解している」つもりになっている傲慢や、ナルシシズムや単なる感傷ではない、
謙虚でありながら訴える力を持つ春畑さんの社会詠を、
今後も興味深く読ませていただきたい。





     葛として生くるほかなきはげしさよ廃線跡の九月を覆ふ



     打たれては身に生れ出づる音を聴き木魚をんをん老いてゆく秋



     乾電池にも寿命あるさびしさやもうあかんねん、さう、あかんねん




ここに引いた3首は、ずばりモチーフの妙だと感じた。


1首目。「葛」を詠っていながら、“植物詠”と分類することのできないような歌だと思う。

よく見かける風景だが、これを歌に詠む視点を、私は持っていなかったことに気づいた。
「美しい」とか「清々しい」でもなく、葛の植物としての生命力は「生き生きと」をも通り越し・・
もはや壮絶なのだ。
見ていると、辛いような息苦しい気持ちになって、私は目を逸らしていたのだろう。

そのどうしようもないような生命力を「葛として生くるほかなきはげしさ」と、
見事ズバリと言い当てている。


2首目。「木魚」がこのように詠われるとは!
「をんをん」が絶妙だ。それは泣き声にもだぶる。
これも“どうしようもない”ような感覚に陥る。


3首目。下句の、消え入りゆく、しかし叫ぶような呟きが、痛切だ。
この歌は特に、「乾電池」が作者自身の隠喩であることを感じさせる。


擬人化は、春畑さんの歌によく使われている。
それはいつも、どこか滑稽さを含みながら、かなしみやさびしさ、はかなさを持ち・・・
人が生きる、そのこと自体への投影なのだと思う。





最後に、ご自身を「アキアカネ」と呼んで自らに話しかけているような、この歌を。
(アキアカネ=赤とんぼ)

せつないけれど、少しほほえんでしまうような。




    こゑ上げて泣く子を連れてさびしいか、ひかりの午後をゆくアキアカネ






“あとがき”より


「狐日和」とは、「降ったり照ったりして定まらぬ日和」のことをいいます。(中略)
この言葉の纏う淡いひかりと影に、今の自分を、また今日まで自分が過ごしてきた日々を
重ね合わせて、この歌集のタイトルを『きつね日和』としました。


                                                   (一部引用)
 


**********************


歌集を読んでいると、ご紹介したい歌がたくさんありすぎて、
やっとのことで12首に絞らせていただきました。

私が短歌の世界に踏み込んで初めて読ませていただいた記念でもある、大切な歌集です。

そして現在、春畑さんの第三歌集が編まれているご様子に、期待感が膨らんでおります。


私の拙い読み、過不足や方向違い等さまざまあることと思いますが、
作者様には、どうかご容赦いただけますよう。



最後に、春畑さんへの、私からの1首を。(昨年の“題詠blog”より)





      ひかり降るうた詠むひとに憧れて草のひなたへ踏み出だしかな





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comment











管理人のみ閲覧OK


 

感動しました。
これほど充実した歌集の鑑賞,どこから手をつけたらいいのやらと思っていましたが,鈴雨さんのしっかりとした視点が鮮やかですね。
お子さんの歌,社会詠に関する鑑賞文を,特に共感をもって読ませていただきました。
お疲れさまでした♪

2008/06/20 17:28 | りりん [ 編集 ]


りりんさんへ 

さっそく読んでくださり、ありがとうございます~^^
ご感想、とても嬉しいです!

りりんさんと出会えたことも励みとなり、やっとのことで、自分への宿題を果たすことができました。
本当に、「どこから手をつけていいのやら」ですね。それだけ充実している歌集ということなのですが。

とりあえず、第3回までの歌集は決まっております。
またいつになることやら・・ではありますが、りりんさんという読者がいてくださることを今後も励みにさせていただきます♪

2008/06/20 18:19 | 鈴雨 [ 編集 ]


 

これほど丁寧に読まれる鈴雨さん、脱帽です。
今、いささか反省しています、私はこれほど丁寧に歌集を読んでいるだろうか。と。

時間を置いてもう一度、読ませていただきます。

2008/06/20 20:59 | [ 編集 ]


文さんへ 

ありがとうございます!
実は、鑑賞を書こうと思ってから1年以上経ってしまいました(^^;
そしていざ書いてみると、書きながら気づくことが多くて・・それが「丁寧に読む」ということに自然とつながったのだと思います。

文さんが読んでくださることも励みに、これからも鑑賞を書いていくつもりです♪
(でも次回はまたいつになるか・・・;)

2008/06/20 22:59 | 鈴雨 [ 編集 ]


ううう・・・ 

思いだそうとしてるのに思い出せない!!
あのね、コドモはね、朝に夕に撫でていないと消えてしまうっていう歌、折々の歌にあったんですけどね、その歌、一首目読んだとき思い出しましたです。有名な女流歌人の歌なんだけどなー。。。素敵な歌のご紹介ありがとう!!

鈴雨っちのおかげでいろんな歌に接することができて嬉しいです。

2008/06/22 18:39 | [ 編集 ]


よしこねーさん 

おお、そのようなお歌があるのですか・・なるほど。
まだまだ歌を読み足りない若輩者です。。

思い出したらまた書き込んでくださいね♪

2008/06/23 17:29 | 鈴雨 [ 編集 ]


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